Ein letzter Glanz fur Habsburg
ハプスブルク家最後の皇太子の葬儀(オーストリアの反応)

-日本に対する反応ではありません-



―2011年7月17日の記事―

オーストリアは、ハプスブルク家最後の皇位後継者であったオットー・ハプスブルクに別れを告げた。昨日ウィーンで行われた葬列が、ハプスブルクの歴史に終止符を打った。


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およそ1万人の人々が仮装し、参加したウィーン市内の葬列




最後の『皇帝賛歌』


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ハプスブルク家最後の皇太子オットー・ハプスブルク

オーストリア共和国は、ハプスブルク家最後の皇太子に頭を下げた。ウィーンでは、何千人もの貴族や、そうでない者も、オットー・ハプスブルクの葬列に参列した。

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不運な皇帝の息子。彼は、始めに帝国を失い、そして祖国を追われた。それから1世紀ほどが経った真夏日の今日、彼はやっと、そして永遠に、自分の家へと帰って来たのである。

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ウィーンは晴天。竜騎兵の黒と金の鉄兜が太陽の下で輝き、ハプスブルク帝国の紋章の入った旗が心地よい午後の風に揺れていた。

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一度、また一度、栄華を極めたハプスブルク家の由緒あるオーストリア・ハンガリー帝国軍の太鼓の音がこだまする。古き帝国の都に、教会の鐘が鳴り響いた。国を追われた、ドナウ君主国最後の皇太子は、その長い長い人生の旅を終えたのだ。

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ハプスブルク皇帝・皇后の伝統ある納骨堂・カプツィーナー教会の門で、黒装束の使者が銀色の杖で3度たたいた。「ここを通らんとする者は誰だ」と、年取った神父が正面玄関ですげなく聞いた。「オーストリアのオットーです。かつてのオーストリア・ハンガリー帝国皇太子であり、ハンガリー・ボヘミア、ダルマテア、クロアチア、スラヴォニア、ガリツィア、ロドマリア・イリュリアの王、トスカーナおよびクラカオ大公、ロートリゲン、ザルツブルク、シュタイヤー、ケルンテン、クレイン、ブゴビナ公...」と、それからは、1000年近くの歴史の内に購入し、勝ちとり、政略結婚で得とくした、星の数ほどの所有地、称号、位が並べられた。


「その者は知らない」と、修道士は答え、再び聞いた。「ここを通らんとする者は誰だ」

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「ハプスブルク家のDr.オットーです。国際汎ヨーロッパ連合の議長及び国際名誉会長であり、欧州議会の議員で老議長、数多の大学の名誉博士で、中央ヨーロッパの数々の共同体の名誉市民であるDr.オットーです」と、今度はオットーがその長い人生の中で自身で手に入れた政治家としての称号や大学の栄誉などが伝えられた。これこそ、式典の開催者が門番に伝えていたオットーなのである。


入場を拒否される映像




それでも神父は入場を拒否した。哀れな罪人オットーとして入場を祈願して初めて、鉄を打ちつけた納骨堂の扉が振動と共に開かれた。チロルの兵隊たちが、旧帝国の色である黒と黄色に双頭の鷲が入った布に包まれた棺を肩に担いだ。

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最後の礼砲

「オットーよ、安らかに眠れ!」と、最後の敬礼がなされ、最後の太鼓の音が響き、遠くで礼砲が鳴った、そして、色とりどりの波打つ旗を携えた人々が帝国を失った君主に最後の会釈をした。これより、古きオーストリアの皇太子は違う世界へと向かうのだ。そこは、豪華な大霊廟にある、ひしめき合う古い錫の棺の中で安らかに眠るハプスブルク家皇帝・皇后の祖先たちの死の王国。

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オットーは葬られるが、ハプスブルク神話は生き続ける。これらはそんなにも明かされてはいなかったことだが、鬱な天才作家ヨーゼフ・ロートによってドナウ君主国の逸話は、瞬く間に世に広まった。

1938年、ヒトラードイツに併合された夜。極度のアルコール中毒だったロートは、パリ亡命中の死に際に、彼の有名な作品『皇帝廟』悲劇の英雄フランツ・フェルディナント・トロッタを、ハプスブルク家の古い墓場に遺したという。トロッタは、家系最後の忠実な臣下として、死んだ皇帝を訪れるのだ。

この神話の効果は、60年代のオーストリア映画『シシィ』から発生した、派手な衣装の奇妙な華麗さ、金に飾られた軍旗、豪華な勲章、光り輝くサーベルと緑色オウムの羽飾りなどによって一層強まった。


ハプスブルク家の悲劇 (ワニ文庫)


帝国が滅びる前から、その末期には、その時代を生きていた人々はすでに、ハプスブルク家が繰り広げた色鮮やかなドラマを、遠い過去の童話的遺物だとか、異国からきた時代錯誤の産物だ、と感じていた。

今、どの兵士も、金のボタンや飾り紐のついたオーストリア・ハンガリー帝国軍の軍服を誇ることはない。まじめな儀式のも関わらず、その場は、僅かながら陽気な仮装行列の雰囲気さえあった。あたかも現実である葬式が催されたのではなく、古き良き(実際、そんなに良くもなかったのだが)時代の郷愁をそそる思い出が祝われているかのように。



ステファン寺院でのレクイエム


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オットーの埋葬は午後3時、蝋燭の灯った中で行われた。ウィーンの大司教カーディナル・クリストフ・シェーンボーンが、ミヒャエル・ハイドンのレクイエムの素晴らしいメロディーに合わせ、故人の為に鎮魂のミサを執り行うステファン寺院には香煙が満ち、連祷が絶えなかった。


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伯爵家系の枢機卿で現在のハプスブルク家家長で、オットーの長男であるカールは、首尾一貫して大公と呼ばれること、また、この死者の為のミサを古き皇帝賛歌合唱で締めくくることを許された。もちろん、そんなことをして、この寺院に集まった共和国の政治家のトップたちを、内心居心地の悪い思いで満たさなくても良かったのではあるが。


参考

連祷、聯禱(れんとう)とは、はキリスト教の祈りの形の一つ。正教会の奉神礼、カトリック教会の典礼、聖公会の礼拝に連祷の伝統があるが、その形式内容には差がある。ウィキペディア

この場合の大公とは、旧オーストリアハプスブルク家の皇子の称号のこと。

皇帝賛歌(オーストリアの旧国歌)のメロディーは、現在のドイツ国歌に使用されている。


最後の皇帝賛歌映像




しかしどの政治家も冷静を保っていた。なにせ妻マルギットと参列していたオーストリア共和国連邦大統領ハインツ・フィッシャーも、一人でザンクト・ステファンへ赴いたオーストリア共和国連邦首相のヴェルナー・ファイマンすらも表情一つ変えなかったのだから。もちろん、このなんとも珍しく奇妙な奇跡には疑いもない理由があった。それは、共和制と社会民主主義が長い間、93年もの間政治的な力を引っ剥がされていた皇太子によって、和合を保っていたという事実だった。

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それから、枢機卿(オットーの息子カール)が帝位と祭壇の間でバロックのけばけばしさと共に、古き、そして今は亡き連合のために、最後の万歳を唱えなかったのは、期待していた者たちを失望させた。

枢機卿は喪に服した一同の前で、オットーが人生でやってきたことは「第一次世界大戦の不首尾」を償う「試み」だったと言った。そして、かたや「現代的すぎる」と捉えられ、かたや「反動的すぎる」と捉えられるハプスブルク家については「過去を残念に思って」ではなく、家族の遺産として「使命」だと理解し生きていく、「私たち皆が、昨日から、明日の為に何かを学ぶことができるのと同じ」だと述べた。

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スウェーデン国王と王妃


棺の右にはオットーの7人の子ども、そしてその配偶者、それにその子どもたちが、左には連邦大統領とその妻、スウェーデン国王カール・グスタフと王妃シルビア、ルクセンブルク大公ヘンリと大公妃マリア・テレジア、リヒテンシュタイン侯爵ハンス・アダムと侯爵妃マリー、それからマルタ騎士団の騎士団総長が参列していた。その後ろには連邦首相が列席していた。

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ハプスブルク家の子孫


オットーはヨーロッパを全体の「平和計画」と理解していた、故人は平和の仲介者であった、とシェーンボーン大司教は語った。「神よ報いてください、偉大なる主よ!」と、枢機卿が皇帝の亡き息子に、震える声で、しかし大声で言った。「神よ報いてください、あなたの忠実なしもべを。主の栄光の内にお迎えください!」


終わりの祝福としてプンメリン(ステファン寺院の大鐘)が鳴ると、棺はオットーの衣服と共に、色とりどりの旗の人垣の間を通り、寺院から運び出された。

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凱旋広場(ウィーン王宮の庭)からは21の礼砲が放たれた。厳粛な葬式運営者が、道を縁取る密集した人々の間を、ステファン寺院のある市内からグラーベン通りを過ぎ、ハプスブルク家の門をくぐり、通行止めにしたリンク通りから、ノイエ・マルクトにあるカプツィーナー納骨堂まで導いた。

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葬列の最前列には銃を背負った親衛大隊の名誉兵、その後ろには、ゆっくりとしたテンポで太鼓を叩き行進する軍楽隊員の列が続いた。また、色バンドを纏ったカトリック学生組合や、十字に肩かけをした教団の者、王宮騎士団やドイツ騎士団、王宮狙撃兵に王宮近衛兵、オークの葉を着けた憲兵、真のハンガリー大実業家や偽の者、軽騎兵や、馬無しの壮大な竜騎兵までが行進していた。

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葬列の道のり


そして、鮮やかな重いジャケットと伝統ある革ズボンを穿き、その帽子には羽がなびいているチロルの兵隊たちに担がれ、オットーの棺が、近衛兵にわきを固められながらやって来る。

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絶対君主の印である金色のネックレスは、オットーの孫がクッションに載せ運んだ。棺の後ろにはハプスブルク家家長のカールとその家族が続いた。高きも卑しいきも、何万もの人々が皆、道の脇で、亡き皇太子に、正真正銘最後の、皇帝への敬礼をした。こうしてオットーはオーストリア最後の「ほぼ皇帝」として見送られたのである。

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講義する人々





-コメント-


ZwischenZeile


心からの哀れみを
そして、神の加護があらんことを。



Waste

これで見納めか

600年の歴史も...オットーで、ハプスブルク家は終わったんだ。



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おっと、俺は600年遅く生まれてしまったか...



MariaAntonia175


誰が払ってんの?

どうでもいいんだけどさ、この葬式って、大体いくらかかったの?

サッカーの試合とかに駆り出される警察って結構いるけど、あれとかの出動費用ってどこから出てるの?まさか税金?

こういう立派な同胞のためだったら百歩譲るとして、毎週のサッカーに税金はないだろ...



Zottlklauber


いや、誰って...税金だろ。他に何があるんだよ!



Austriaco


ハプスブルク家は全部、自分たちで払ってる。


これは、これでも、私的な葬式だったんだよ。



Urro


本当の偉大さ...


人間の本当の偉大さは外見だけでは表現できない。そう考えたら、昨日の空騒ぎは最悪に思えた。カトリック教会の取り繕いと印象付けは、見た目で本当に大切だと思われることだけ。故人が今まで報告されたとおりの偉大なる人間だったなら...



Grino


みんな、お願いだ!

どんだけ費用かけてんだよ!信じらんねぇ!!

神の前にはみんな平等じゃあないのか??



steirerfranz38

皇帝は死んだ!

皇帝ロベルト・ハインリッヒ(トークショーに出てくる皇帝)万歳!!



LA411


え?これ、仮装大会ですか???



Trommler


歴史の、一つの局面だね。


オーストリアの、何百年続いた歴史の節目だったんだ。最後の歴史のそよ風と言ったところかな。オーストリア人として生まれて、そうやって感じることができなかった人は、このできごとを悲しむんだろうな。そしてそういった古き帝国の見かたをする人たちが、こういう形の葬儀を正しいと認めるんだろう。



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こんな歴史は、1918年にツァーの称号とともに節目を迎えるべきだったんだ。



参考

ツァーは、帝政ロシア・セルビアなどの皇帝の称号。



Trommler


匿名使って、言いたい放題だな。



wien1190

@Trommer 全く同感だけどさ、オーストリア人の多数がこういう考えなのは否めない事実だよ。



BerlinerNo1 (ベルリン)


あ~、こんな流行遅れなことやってたんだ!!!


オーストリアはま~だ古びた帝国時代のことを泣きわめいてるわけ? いい加減、顔上げて前見なよ。そんで、この葬式カーニバルの費用は誰が払ったの?



Musicjunkie


まぁ、誇張して言うことなんて、誰でもできるわな。


それより、北朝鮮でもないのに、なんでここに付けられるコメントはどんどん消されていくんだ?



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民は国を豊かにするため血を流して働き、死んでいった。それが第一次世界大戦を導き、そして第二次世界大戦の礎石となった。


ありがとうハプスブルク



Firnweg


おいおい、そんな簡単に歴史を簡略化するなよ。お前の理論からしたら、もしかしてスターリンや冷戦もハプスブルクのせいになるぞ?



wien1190


確かに。ハプスブルク家がどうやって第二次大戦の礎石を置いたのか説明してもらいたいな。



Austriaco


おいおい馬鹿ども!ハプスブルク家はこういうことにも貢献てるんだ。


例えば、俺たちの中に未だに存在する国家社会主義と戦っている、とかな!!!


それにだ、現在、民たちを血流させて働かせてるやつらってのはな、外国の口座に富を預け、文化の衰退に貢献してるやつらを言うんだよ!


ハプスブルク家が世界中にオーストリアの名を知らしめたんだ。


彼らは今、民主主義を支持することを表明しているし、王政復古もしようとはしてない。

オットーだって、まったく同じだったし、一度だって王政復古なんて企まなかった。



Moserherby


鏡に映った今の私たちの政府を見ているようだわ...



Eisenfaus

おうおう、勇敢な緑党のグループだこと...

こんな中でも「帝国主義反対!社会主義反対!」なんてプラカード持って歩いちゃって...

他にも、侮辱しにきた参列者は見てておもろいわ。

こういうやつらのために動員された警察は大体50人くらいか...



ZwischenZeile


おいおい、「人」が一人死んだだけだろ...

それでも私たち田舎者は故人に敬意を払います。



Secundu


この薄汚い罪びとめ!!


これが核心事だろう。なんで滅び去った帝国のためにまた、こんなカーニバルを開かなきゃあいけないんだよ。もっと、分別のある国民のことを考えてほしいね。


それに、この馬鹿げた劇に税金が使われなきゃいけなかったのも理解できない。

貴族政治の時と同じじゃないか、貴族と教会に補助金が出まくり、国民が節約し、その金を払わなきゃいけなかった。ハプスブルク家とこいつらが歴史の中でしたことなんて、誰も残念に思う必要なんてないんだ。民主主義共和国を代表すべき俺たち政治家だって、ほとんどが、銀行とかに踊らされてるだけだ。




翻訳元;http://www.kleinezeitung.at/nachrichten/chronik/habsburger/2787630/letztes-geleit-fuer-kaisersohn-otto.story










日本ではあまり報道されていなかったので、日本への反応ではないのですが、オーストリアにとってはとても重要な出来事だったので例外的に翻訳させてもらいました。

世界のマイスターをめざして -ハプスブルク家宮廷料理を受け継いだ日本人-

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