Hätte Japan selbst mit der 2ten Atombombe nicht kapituliert, hätten die USA weitere geworfen evtl. auf Tokio bis Hirohito tot ist und nicht mehr kapitulieren braucht?
ドイツ人「日本人が原爆2発で降参しなかったら、アメリカは天皇を狙って東京にも落としたと思うか?」ドイツの反応

maximilian283_Extremely_beaut
祖国のために。。。

ttps://de.quora.com/H%C3%A4tte-Japan-selbst-mit-der-2ten-Atombombe-nicht-kapituliert-h%C3%A4tten-die-USA-weitere-geworfen-evtl-auf-Tokio-bis-Hirohito-tot-ist-und-nicht-mehr-kapitulieren-braucht


質問:もし日本が2発目の原爆を投下されても降伏しなかったとしたら、アメリカはヒロヒトが斃んで降伏する必要がなくなるまで、もっと多くの原爆を、場合によっては東京にも投下したのかな?

ドイツの回答

Martin G.

まず、アメリカの標的は決して天皇ではなかった。

東京爆撃の時でさえ、上層部の命令で皇居は攻撃対象から意図的に省かれていた。

天皇へ攻撃していたら、日本国民の感情を頑なにし、日本が降伏することはなかっただろう。

そもそも日本人は、決して降伏することのない兵士として世界から恐れられていた。

文字通り、「最後の一人になっても戦う」と、全ての日本人が心から思っていた。

日本兵が手りゅう弾を最後まで残しておくのは自サツするためではない、最後の最後までアメリカ兵をコロすチャンスを信じてのことだ。


Wolfgang Maleck

日本が長崎原爆で降伏していなかったら。。。

少なくとも次の原爆投下までには数カ月を要しただろうな。

原爆は、もともと物理的には可能と思われていた技術を、実現可能だと証明したい物理学者や技術者の悲願だった。

しかし、原爆を作るには非常にお金がかかった。

もし、日本が長崎に原爆を落とされても降伏しなかった場合、アメリカ、イギリス、中国には2つの選択肢しかなかっただろう。

日本が提示した休戦協定を受け入れ、その後にヴェルサイユ式の講和条約を結ぶ。

もしくはソビエト軍とともに日本本島に上陸し、徹底的に戦う。

ただ、2発の原爆が落とされた後でも、日本本土決戦には攻める側にも大損害が予想されていた。



Christian Müller

日本は原爆前に降伏したかったが、残念ながらアメリカはそのことを知らなかった。

日本はスターリンの参戦以来、もはやスターリンが信用できないことを知っていたんだ。

国の分裂を防ぐ唯一の選択肢は、アメリカに降伏することだったと知っていた。

しかし、日本のエリート層は、決断できなかった。

だから原爆を落とされてしまったんだ。

ただ、
もし日本のエリートが原爆を落とされた後も決断できていなかったら、アメリカはおそらく次の原爆を製造して投下していただろう。

しかし実際には、原爆がなくても降伏はかなりの段階まで計画されていたんだ。

アメリカ的には、おそらくスターリンが日本を征服するのを阻止したかったから、原爆を投下したんだろう。

冷戦はすでに始まっていたんだ。


Nedeljko Vuckovic

広島に原爆が落ちた頃、東京はすでに空襲によって徹底的に破壊されていた。

米軍首脳部は、東京の建物のほとんどが木と紙でできていて、火災の被害に遭いやすいことを認識していたんだ。

日本の警察の推計によると、
「1945年3月9日の爆撃だけで83,793人が死亡、40,918人が負傷し、100万人以上が家を失った。

戦後の推定では、死者は8万人から18万5千人とされている。」出典 ウィキペディア

最も少ない試算でも原爆1発分、多い試算では日本に投下された原爆2発の合計よりも多くの死者を出した。

しかし、これは空襲の直接的な影響に過ぎない。

「大火災は3月10日中に終息したが、個々の市街地は3日間燃え続けた。

その過程で、256,070棟の建物が炎によって破壊された。

その後の数日間で、100万人以上が首都圏から避難した。

住民の莫大な損失により、第二会戦作戦は史上最も破壊的な単独空襲であることが証明された。」出典 ウィキペディア

最後の一文がすべてを物語っている。

つまり東京はすでに焼け野原だったため、そのあと原爆が投下されたところで、それ以上の被害はほとんどなかっただろう。

要するに、米軍は破壊のために原爆を必要としていなかったんだ。

破壊よりも心理的効果の方がはるかに重要で、前例のない破壊力を持つ新型兵器を持っていることを示すためであり、すでに崩壊状態にあった日本よりも、むしろ強大なソ連にシグナルを送るためのものだった。

原爆が2発投下された理由のひとつは、両方のタイプの原爆(ウランとプルトニウム)を実地テストしたかったからだろう。

私の知る限り、当時アメリカは2つ以上の原爆を準備していなかった。

そして日本がアメリカに降伏した決定的な理由は、原爆への恐怖よりも、ソビエトに占領され、共産主義政権を押し付けられることへの恐怖であったとも言える。


Manuel Kunkel

ソ連が対日参戦したのは1945年8月の始めであり、日本にとってはまったくの奇襲だった。

8月10日、ソ連軍は北朝鮮の咸興(ハムフン)市近郊にある日本の軍需工場、甲南(コナン)を占領した。

日本の原爆は甲南で開発され、1945年12月には使用できるはずだった。

日本軍はその間、米軍の砲撃に耐えていたはずだ。

しかし、甲南が失われたため、日本は8月中旬に降伏するしかなかった。

ちなみに、原子爆弾が開発された咸興には、1965年に北朝鮮原子力研究所が設立された。

これは、1936年に京都大学で訓練を受け、甲南で日本の原爆開発に携わった韓国の核科学者たちによって行われた。

一方、ソ連は1945年にすべての放射性物質と捕獲した日本の核科学者をソ連に移し、1949年には早くもソ連独自の原子爆弾を世界に発表することができた。





記事:クニッゲ

ノーベル平和賞受賞に感化されて…

そういえばまだオッペンハイマー見てなかったなぁ。。。

前知識なしで見るのが良いのか、ロバート・オッペンハイマーのことを良く調べてから見るのが良いのか。。。

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